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Twitterまとめ投稿 2022/02/22


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その2

翌日、母の安置されている葬儀場に打ち合わせを兼ねて行く。
担当してくれた人と葬儀の見積もりを作ってもらう。普通に通夜して翌日火葬、初七日、四十九日すると・・・・ひえー!無理です。払えません。w
何度か見積もり作り直してもらい、結局、通夜なしの1日葬で家族葬に近い形にして会葬者12人に絞る。親族、近親者のみ。母も生前そう言っていたのでまあOKかな。坊さんも葬儀社にお願いする。ついでに戒名も。本家筋から坊さん呼ぶとそれだけで100万!ふざけんな!
翌日葬儀は火葬場いっぱいで出来ず。次の次の日は友引で火葬場休み。次の次の次の日もいっぱいで出来ず。結局5日目に出来ることになった。安置してるカプセルの値段が気になったが3日以上は取らないことでした。もうそれだけでヘロヘロ。弟と口もきけない。お互い不機嫌。
お昼過ぎに家に戻って親戚、母の教室の生徒代表に電話連絡する。これがなかなか辛い。
母の兄弟姉妹達には母の弟さんから回してもらう。
葬儀までの時間が出来たので喪服等手配する。
続く
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あれから3ヵ月

その日はあまり急ぐような気分ではなかった。
朝の新幹線に乗って実家へと向かったがただなんとなく自分は変に気持ちが落ち着いていた。
実家に着くとすぐに母の寝ている部屋に見舞ったが、母は意識もなく重い呼吸音だけがしていた。
弟が「あまりもたないかもしれないよ」って言ってたが、母は血色の良い顔色をしていた。
手を触ってみるととても冷たくてドキッとしたが、嫌な感じには思えなかった。
水がもう飲めないからと、脱脂綿で唇を湿らせてあげると飲みたそうに口をモグモグさせた。
昼過ぎにはヘルパーさんが来るらしいので、それまでそばに居ようと思って、ベットのそばで座って居たら、突然母が「おはよう!」って言った!「えっ!」って振り返るとそんな言葉を発したとは思えない感じで呼吸音だけがしていた。
昼になってヘルパーさんが来たが、まったく反応できなくてヘルパーさんは「まずいかもね」って言いながら戻っていった。
4時ごろ呼吸が乱れだしてきたので看護師さんに連絡して来てもらった。
診察してもらったら「足にチアノーゼが出てるし、舌も落ち込んでます」って言って「大事な人達はお呼びした方が良いかもしれません。」って言いながら帰っていた。
明日は母の妹達も来る予定だった。
弟と「何かあったらまずいからと夕ご飯を食べてしまおう」と、6時ごろ食べ始めてると、母の部屋がやたら静かになっていた。
慌てて見に行くと母の呼吸は止まっていた。まだ暖かい。
看護師さんに連絡して診察してもらうことに。5分ほどでやってきて見てくれた。
すぐに先生に連絡してくれてそのあと15分ほどしてから先生がやってきて状態を確認していた。
その時点で死亡診断が出た。
悲しいとか考えてる暇もなくこの後どうしようとグルグル!
なんでもいいからと、とりあえず考えていた葬儀社に電話して安置をどうするか話し合う。
家では安置できないので葬儀社のカプセルに入れてもらうことにした。
母の闘病が始まってから約1年!悪性リンパ腫恐るべし。不思議と落ち着いていた。
しかし本来は次の週末に来る予定だったので良かったと言うしかない。と思う。

記録として忘れないように書きました。
享年84歳 11月6日
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Twitterまとめ投稿 2022/02/07


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